column


【芸術活動の支援】

行政が、芸術活動を支援することがあります。
政治家は「文化の薫り高い、我が故郷のために…」という常套句を使い、有権者もその言葉を好みます。

行政支援はとても有難いです。
正直、私も欲しいですし、実際に受け取りながらやっている活動もあります。
ただ、公的な支援はその選定や配分が実に難しく、率直に言うと議論しても不毛です。
そういった行政側の問題もさることながら、受け取る側に甘えの構造を作り出すことも気になります。

そもそも、何かやってやろう…と考える連中は、支援などアテにしていません。
やりたいからやる…このエネルギーこそ、活動の原点です。
今日の仕事をこなしながら、残された時間やお金で必死に勉強して作る…これこそが「文化の薫り」を高めます。
「明日を作る仕事をしているのだ…」と言って、今日汗をかかない人たちを増やす支援は、間違いなく「文化の薫り」が下がります。

また、「その活動に胸打たれた…」と支援の手を差し延べてくれる人は、身近な存在から現れるものです。
その繰り返しが、その人の歩みを確かなものにしていきますし、私はそんな人たちの作り出すものがたまらなく好きです。
ところが行政の支援は、その活動を「申請書」の上でしか知らない人たちが判断せざるを得ません。
もちろんそこには、「公平な分配」などありません。
(…私はそもそも「公平」など望んでいませんが。)

生まれや出会いの運不運を含め、人と人の織り成す様々な形にこそこそ価値ある文化の根源があります。
作り出されたものは単に結果であり、私はそこまでのプロセスが好きなのです。
だからまた作りたくなり、今日の仕事も頑張らねば…と思います。

2010/11/05 杜哲也