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【第103回/免震重要棟】

3月は、東日本大震災を思い出さずにはいられません。
お恥ずかしい話なのですが、先日、震災関連で初めて知ったことがあり、今回は深い反省の念を込めて書いてみます。

あの日、大津波を被った福島第一原子力発電所では、全電源を喪失する中、吉田所長はじめ現場職員の皆さんが必死の復旧作業にあたっていました。
その拠点としていたのが、免震重要棟です
東電本店や首相官邸との怒号飛び交うやり取りも、すべてこの免震重要棟から行われています。
それが実は、「出来たばかりだった…」というのです。

これには、その4年前(=2007年)に発生した中越沖地震が深く関係します。

ともすると東日本大震災に隠れてしまいがちですが、中越沖地震だってかなりの大地震。
この時、震源地近くの柏崎刈羽原子力発電所では、緊急時対応をする対策室が地震で入室出来なくなったため、現場の指揮は青空の下で執られたそうです。
これはまずい…となって、東電に対し強硬に免震重要棟建設を迫ったのが当時の新潟県知事泉田裕彦氏。
彼は同時に、「福島にも同じものを…」と進言してくれました。
それが完成したのは、東日本大震災のわずか8ヶ月前です。

水素爆発が起こった福島では、屋外なんてもってのほか。
これって、間に合って良かった、と言えるレベルの話ではないと思うのですが…。

私は、こんな重要な話を震災から8年も経過してから知ったこと、それ自体が大変ショックです。
今、各種情報は文字通り溢れかえっており、そこでは元気な企業が、より目立つ場所をより多く獲得します。
無数の情報の中からより大切なものを選ぶのは、我々の責任なのだと思いました。

===============2019/03/05 杜哲也



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