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【第111回/芸術と衣食住】

皆さんは、芸術と衣食住が「無関係」だと思いますか?

先日、そのような解釈で音楽を論じている動画を観ました。
確かに日常とはやや遠いところにある…と感じる時はありますし、特にクラシック音楽の分野で評価の高い作品は、そのような生活臭から遠く離れた存在であることを私も少なからず体験してきました。

その領域で評価を集める音楽は、流行歌やBGMなどとは異なり、日常生活における実用性はほぼゼロ。
民主主義という尺度(=多数決)で測れば、永遠に政権を取ることのない音楽でしょう。
しかしそこには熱烈な支持者がいて、高い知性や強い意欲により音楽文化の最先端を支えています。

私は、主にテレビやラジオから流れて来る世俗的な音楽に心を奪われてこの世界に入りました。
入ってみると、そこで最も真剣に取り組んでいて、かつ、評価の高い人たちの音楽に対して、自分はほとんど心が動かされないことに驚きました。
これ、何かオカシイ…。

そんな中、「芸術と衣食住は無関係」という言葉は、実に的を得ていると思いました。
そして、改めて思いました。
私にとっての音楽はそれらではなく、日常生活の中から生まれて来るべきものなのだ…と。

そもそも、「芸術をしている」なんて言葉、それ自体が変。
ほとんどの人たちにとって、生きることはそれ自体が大変な作業。
日常生活で、自分の中にどうしても起こる快不快と闘いながら、身近な社会に向けて自分の信じる音楽を発信していく…、そんな単純なことだけで短い人生は終わってしまうのです。

「評価は100年後に決まるのだ」
いやいや、まずは今月の給料しっかり払ってくださいよ~。

===============2019/09/19 杜哲也



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