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【第83回/需要と供給】

50年以上も新設されなかった獣医学部が、来年4月にスタートするようです。
長い間新設されなかった理由は、獣医さんの数(らしいです)。
即ち、獣医さんの数は現状で十分であり、需要と供給のバランスは取れている…というもの。
年月に伴いこれが変わっただけで、他の要素はない…と信じたいです。

私は、ペット飼育に興味もなく、動物愛護団体にも加入しておりません。
今回の報道がなければ、獣医さんの社会的ニーズなんて一生考えることはなかったと思います。
しかし、需要と供給については、日頃から作為的なものだと考えています。
つまり、ニーズに応える…なんて嘘っぱちで全ては政策判断。

例えば、保育所の不足。
これについては、行政が全力で対応している様子がひしひしと伝わります。
対応に当たっているお役所の皆さん、本当にお疲れ様です。

しかし、喫煙所の不足に同じスタンスで対応していたら大問題でしょう。
喫煙所ない日本死ね…なんて、笑い話にもなりません。
ニーズに応えるのが大切なのではなく、どんな社会にしたいのか…が優先されるのです。

日頃から、音楽の需要について考えています。
衣食住に直接関わらない音楽は、放っておくと、時の権力者に好きなように使われるだけ。
歴史が証明しています。

人間、最後には、食べる、排泄する、寝る、…こんなことを繰り返すだけの存在になります。
その意味からも、音楽は平和や健康の象徴。
一歩踏み込んで言うならば、平和だから音楽をするのではなく、音楽をやり続けることによって平和を獲得するのです。

音楽ない日本死ね…なんて、想像するだけでゾッとします。

→2017/07/06 杜哲也



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